11月3日2006年11月05日 21:54

関風。レコメンにて最初に聞いた時は、今までで一番インパクトの弱い曲だなと思った。今までが個性的すぎたから仕方ないんだが。とりあえず何度かリピートして耳に馴染ませた。で、翌日映像@NHKで見てみたわけだけれど、ほーなるほどって感じだった。振りもカンフーであった。一番ポイントが高かったのは、ヘッドセットマイクだったことだ。やっぱダンスは両手使えるほうが断然良い。あの振りは両手でないとダメだしね。

そして、やっぱり彼らの持ちネタは入るんだなと感心(?)した。よこちょの「いやや」みたいな彼ららしい一言や、MCネタの「よっしゃー」や、何より一番笑ったのは錦戸の下手くそなウソ笑い。何回見ても笑える。あれはいつのMCで言ってたんだったけな。とにかく一人だけ格段に下手で笑った。

考えてみれば、今年だけでも100回以上のMCをやってるんだから、それだけネタは豊富にあるわけだ。それを曲に組み込んでしまえるところがエイトなんだろうな。


で、CDがなんと通常盤込みで8種類発売されると。なんじゃそれー。8色のを一つ付けて1500円とかにしてくれれば良かったのに。誰かを選ばせるような、そういうやり方はしないで欲しかったな。コンサートグッズなどは仕方ないけど、テイチクさんだけはそういうことしないで欲しかった。


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遅ればせながら、亮ちゃんお誕生日おめでとう。
こないだ成人式だったのにもう22歳だそうで。

亮ちゃんに関しては、思うところいろいろありすぎて考え出すと大変なことになってしまうので、日ごろはあんまり何も思わないようにしているところがある。すごく気になるのに、私自身のために、極力関心を持たないようにいろいろ期待しないようにしている。

ただ、そこに居てくれればいいです。
素敵な一年が過ごせますように。

時は流れる2006年10月22日 21:26

HDDレコーダー購入後、配線のテキトーさゆえ使用不可となっていたビデオデッキを昨日久しぶりに生き返らせました。といっても、元々ビデオ→HDD→ディスクへのダビング目的で配線していた(が出来てなかった)のを、ただ単にビデオ→テレビに変えただけ。簡単に言えば“ダビング”を諦めたということだ。だってどうせやらないもん(怠)

デッキに入れっぱなしだったのは「てるてる家族」録画用テープ。かれこれ3年近くもほったらかしだったわけだ。私があの時HDDレコーダー購入に踏み切った最大の理由は「てるてる家族」を録画するためだった。和ちゃんが子役から亮ちゃんに変わる前日の夜に配線を終えるというギリギリさ。キレイに残したいという気持ちももちろんあったけど、一番の理由は朝ドラをずっとビデオで録り続けてテープが山積みになるのが恐ろしかったから。

で、復活記念第一弾に見たビデオはよりによって「素顔3」。デッキの上に置きっ放しで一番手短だったからというだけの理由。何でそれが置きっ放し(それも裸)だったのか。当時よく見てたのかな。それにしても、なんだかもう諸々思うところありでした。滝翼、4TOPS、すばると亮ちゃんに聖、時々ヨコヒナ、そして時々バックにカツン面が居る。そういう時代だった。
・・・あぁ、だから3年前のあの頃このビデオを見ていたのかもな。皆までは言いませんが。

生田くんと山下くんがシンメでした。(そこかよ)

オカン・コント2006年10月19日 22:22

すっかり忘れてましたが、今回から登場の新コーナー。いやびっっっくりしました、あまりにも面白くなくて(爆)
彼らのすることであんなにつまらなかったのも久しぶりで逆に衝撃です。

しかし何でオカンになったら言葉のイントネーション変わっちゃってんでしょうね。ちっとも大阪のオカンやないやん。

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村上さんの身体能力の高さに今さらながら感動。

すばるくん2006年09月22日 22:26

私はすばるくんが好きだ。とても好きだ。5年前の私にはこんなこと考えられなかったが、本当に大好きだ。恋焦がれるというのとは違うが、とにかく彼のことを「見ていたい」と思う。ちゃんと笑っているか、元気でいるか、楽しそうか。

かつての彼をちゃんと見ていなかった私は、彼が辛かった時期の何を知っているわけでもない。ただ、当時のジュニアトップ面と並んで堂々と歌っていたのに、ある日突然レギュラー番組から居なくなっていたことには気づいていた。でも「あ、外されたか」くらいで別に何とも思わなかった。いや、それも仕方なかろうとさえ思っていた。
私は彼について、テレビでサラッと見た印象以外は何も知らなかった。知ろうとも思わなかった。はっきり言えば私は彼が苦手だった。何も知らないのに。

その当時のラジオ番組で、ある日彼は言った。「頑張ろうにも頑張る場所が無い。」
その一言にとても驚き、その後もずっと心に引っかかっていた。

2002年初夏、松竹座公演の宣伝として『関西ジャニーズジュニアの漂流少年』という番組が放送された。それを見たとき、私は彼に対して何かひどく誤解をしているのではないかとふと思った。それでも、それ以上深く考えはしなかった。

2002年夏、初日。他のメンバーのトリをとって最後にせり上がってきた彼を見たとき何故か感極まるものがあった。その時は何故なのか解らなかったがとにかく背筋がゾクッとした。その感触は今でも覚えている。

2003年夏、彼は舞台上でちょっと怪我をした。私は激しく動揺した。とにかく不安で仕方なかった。と同時に、そんなにも動揺している自分に驚いていた。いつの間にか私は彼のことをとても大切に思うようになっていたらしい。そして「頑張る場所」を見つけた彼から目を離せなくなっていた。

2004年夏、巷では評判の悪かった演目であったが私は大層楽しんだ。最も退屈で居眠り続出といわれた病院のシーンは、それこそ双眼鏡でガン見で眠るどころではなかった。彼の表情の変化を一瞬たりとも見逃さないように。

あぁ、私はこのヒトが、すばるくんが好きだ、と思った。それを認めるまでに2年もかかってしまった。

2005年初、仲間から離れて舞台に立つ彼を見るために遠征をした。もはや行かないという選択肢は無かった。そんな自分に驚いた。人は変われば変わるもんだ。

2005年12年。彼はきっとロックバンドのボーカル的な歌い手に憧れているのだとずっと思っていたが、彼のソロを見てそれが誤解だと気づいた。違う、彼はただ純粋に「歌うこと」が好きなのだと。忘れもしない、12月24日2回目公演。そのソロ曲で私は我を忘れてただただその歌声に引き込まれていた。歌い終わったときにハッと我に返ったくらい頭の中が真っ白になっていた。動揺した。

2006年春~初夏、彼のソロ曲にまたも聞き入った。現在発売中のDVDはあまりリピートしてはいないのだが、この曲だけはじっくり見てしまう。もっと彼の歌が聞きたいと思うようになった。以前は苦手だった彼の歌を。


25歳のお誕生日おめでとう。
10周年おめでとう。

25歳の一年、きれいな花がたくさん咲きますように。


願わくば、私がその一つ一つを見ることが出来ますように。

しょうちゃん2006年09月12日 22:24

行って来ました、仙台二泊三日の旅。
ほんのちょっとだけ期待していたことは何も起こりませんでした。でも夏の舞台を経て、今までのような不安は消えていたから大丈夫。期待していたことは起こらなかったけど、しょうちゃん(あえてのしょうちゃん呼ばわり)のお誕生日をお祝いできたので行って良かった。いや、コンサートだけでも十分行く価値はあるけど。

2年半ほど前、持病でしばらく休職しなければならなかったときもうエイトには戻れないんじゃないかと不安で仕方なかったと、戻ってこれてホントに良かったとボロボロ涙を流したしょうちゃん。そして先日、突然のお誕生日ケーキ登場に呆然とし、みるみるうちに涙でいっぱいになるしょうちゃん。気持ちを素直に表現できる純粋な人なんだろうな。

大丈夫、あなたはエイトにとって決して欠けてはならない大切な人。あの時だって私たちはしょうちゃんが戻ってこないなんて考えもしなかった。あなたの居場所は間違いなく確かにそこにあって、そこに居てくれることを心から嬉しく思っている人がたくさんいます。これからも純粋でありのままのしょうちゃんで居てください。

お誕生日おめでとう。22歳の一年が喜びに満ちた日々でありますように。